「普通は○○だから」だとか「普通の生き方が一番幸せだ」とか聞くけれど、なにかにつけて枕詞のように「普通」という言葉をつけられると「普通ってなに?」と疑問に感じることはありませんか? 「普通」を意識するあまり周囲が気になって、生きづらい世の中だと感じたことはありませんか? これまで「普通」に生きてきたつもりの日々。けれど、もしかするとそれは「普通」ではないかもしれません。
一体、「普通」って何なのでしょうか? この「普通」の正体をファイナンシャルプランナーが解説します。
普通ってなに?
「普通」の生き方とは? まずは、正確な言葉の意味から捉えていってみましょう。
ふ‐つう【普通】
『広辞苑 第六版』(岩波書店)より引用
② ひろく一般に通ずること。
②どこにでも見受けるようなものであること。なみ。一般。「―の成績」「―に見られる」「―六時に起きる」↔特別↔専門。
「普通」とは「どこにでも見受けるよう」な「一般」で「なみ」の程度のことのようです。では、「一般」や「なみ」とは正確にはどのような意味なのでしょうか?
いっ‐ぱん【一般】
『広辞苑 第六版』(岩波書店)より引用
①広く認められ成り立つこと。ごく当り前であること。すべてに対して成り立つ場合にも、少数の特殊例を除いて成り立つ場合にも使う。↔特殊。
㋐普遍。「―性に欠ける」「今年は―に景気が悪い」
㋑普通。多くの普通の人々。「―の会社」「―受けのする話題」「―に公開する」
②一様であること。同様。末広鉄腸、雪中梅「恰あだかも廿里の旅行を為す者の僅に六七里を往て已すでに日午じつごに逢ふと―なり」
なみ【並】
『広辞苑 第六版』(岩波書店)より引用
①ならぶこと。ならんだもの。ならび。つら。列。つづき。万葉集6「山―の宜しき国と」
②たぐい。同類。源氏物語玉鬘「我が―の人にはあらじ」
③通性。大鏡道隆「老の―に言ひ過ぐしもぞし侍る」
④特によくも悪くもないこと。普通の程度であること。万葉集5「―にし思はば我恋ひめやも」。「―製」「世間―」「―の人」「にぎり鮨の―」
⑤(接尾語的に)それがいくつも並んでいる意。その一そろい、その一つ一つの意を表す。…ごと。「月―の会」「軒―に」
「普通」とは、「並」の④の定義によると「特によくも悪くもない」程度で、「一般」の①㋑の定義に「多くの普通の人々」とありますから、人数が多いことが必要不可欠な要素のようです。つまり、「普通」の生き方というのは、特によくも悪くもない程度に生きている多くの人々と似たような生き方をすること、ということになります。そこで、「普通」の生き方を基準にした生き方をしたい人ならば、例えば平均年齢や平均年収などのさまざまな平均値が気になってくるものなのではないでしょうか。
ひょう‐じゅん【標準】
『広辞苑 第六版』(岩波書店)より引用
①判断のよりどころ。比較の基準。めあて。めじるし。
②あるべきかたち。手本。規格。「―に合わない」
③ いちばん普通のありかた。「―的な家庭」「―型」
へいきん‐てき【平均的】
『広辞苑 第六版』(岩波書店)より引用
他の大多数と同等であるさま。ごく普通であるさま。「都会の―サラリーマン」
⇒へい‐きん【平均】
「普通」とは「他の大多数と同等」であって「平均的」であるということのようですが、漠然としていてなにが「他の大多数と同等」でなにが「平均的」なのか人によってイメージするものが違ってもおかしくありません。
投資の世界からみる「普通」とは?
日常的な例からみてゆきましょう。例えば、ある小学生の子どもと父親の日常の会話。
「毎月千円のお小遣いでは足りないよ。1万円に上げて」と言う息子に、
「小学生は1ヶ月千円で十分だろう」という父親。
「みんな1ヶ月あたり1万円貰っているから、僕もみんなと同じ額だけおこづかいが欲しいよ」
と息子はいいます。それに対して
「お父さんが小学生だったときはみんな毎月千円しかもらっていなくて、それが普通だったんだ。我慢しなさい」
と父親が言った場合。
まず、息子からすると「お父さん、それはいつの時代の話だよ」という問題がひとつ。時間的な観点からいって同等ではないということです。それから、お金の価値の観点からいって同等ではないという問題もあります。おそらく、父親が小学生のころの1円の価値は現代のそれと同等ではないのでしょうから、父親が小学生だった時代と現代とでは小売店で千円を払って買えるものが違ったとしてもおかしくはありません。ライフスタイルも変化していますから品揃えだって昔とは同じではないでしょう。それに、父親も息子も「みんな」を基準にして話をしているけれど、だいたいこの「みんな」というのは具体的に誰のことなのでしょうか? このように同等ではない要素がいくつもあって、このままではふたりが納得するような公平な判断を下すことはできません。言うまでもないことですが、「みんなと同じ」ということが公平であるとも限らないのです。
刻一刻と市場価格が変化するなかで日々の取引を公平に行わなければならない投資の世界には数学的な分析をもとに投資の判断を行うさまざまな手法があり、それらは市場分析のなかでも「テクニカル分析」に分類されています。テクニカル分析の手法をいくつかご紹介しながらこの問題を解決するためのヒントを探してみましょう。
チャート
まず、テクニカル分析に欠かせないのはチャートです。
取引が行われている時間帯の間(場中:ばちゅう)も常に価格が変動する証券市場などでは日本の場合は、ローソク足(ろーそくあし)のチャートを使うことが多いです。日ごとのローソク足(日足:ひあし)をみれば、その日の市場が始まってから最初についた値(始値:はじめね)とその日の最後につけた値(終値:おわりね)とその日の場中にどの範囲で価格が動いたのかをローソクのような足(あし)の形から読みとることができます。データに含める期間ごとに、週ごとのローソク足(週足:しゅうあし)、月ごとのローソク足(月足:つきあし)、年ごとのローソク足(年足:ねんあし)もあります。このローソク足は江戸時代に商人の本間宗久が米市場の相場を読むのに使った手法を元に開発されたといわれていて、この足の並び方のパターンから市場の動きや強弱を読んで次の展開を予測する酒田五法(さかたごほう)という日本古来の分析方法もあります。チャートを海外のように折れ線グラフにする場合は通常は終値だけのチャートにします。
客観的データを視覚的に並べて大きな視点から観察してみるとそれまで見えていなかったことが見えてくることがあります。上記のお小遣いの例では、例えば小学生の息子は父親が小学生だったころから現代までに物価水準が何倍になっているかなどチャートをいくつか父親に示してお小遣いアップの交渉をすることもできるのではないでしょうか。
移動平均線
テクニカル分析の手法のなかで基本ともいえるものに移動平均線があります。直近の過去の決められた範囲のデータ(通常は終値を使う)の平均値を算出してそれらを線でつなげたものです。市場の細かい値動きも平均化すればなだらかになって方向性が見やすくなります。期間の異なる移動線の描く線の位置と方向や交わり方から次の展開を予測する分析の方法もあります。日足のチャートでは5日、25日、75日、200日の期間を使うことが多く、それぞれ5日移動平均線、25日移動平均線、75日移動平均線、200日移動平均線といった呼び方をします。
上記のお小遣いの例で時間的な観点を考えると、例えば父親が小学生だったころの期間の平均値を現代に持ってくるのではなく、息子の生きる現代の直近の過去のデータを平均値にしたものでなければそれは現代の「普通」をあらわしているとはいえないのです。
どこまでが「普通」でどこからが「普通」ではない?
次は、「みんな」って誰? という問題です。移動平均線を描くときのように直近の過去の平均値から「普通」の中央値の視覚化はできるかもしれません。しかし、「普通」というのは大勢多数の一般のことでした。全員が平均値どおりに考えて平均値どおりに行動する集団では平均値がまさに「普通」なのでしょうが、人間の集団社会ではそれは非現実的と言えます。では、平均値からの乖離がどこまでの範囲であれば「普通」で、どこからが「普通」ではないのかと考えると実に曖昧です。より具体的な「普通」のイメージを捉えるべく、数学的に模索を続けてみましょう。
ボリンジャーバンド
平均値からの乖離の度合いを表わす統計学の考え方に標準偏差があります。ボリンジャーバンドはこの標準偏差を利用したテクニカル分析の手法のひとつで、中央の移動平均線からの乖離の度合いを視覚的にみてとることができます。
ボリンジャーバンドではギリシャ文字のσ(シグマ)が標準偏差を表わします。中央の赤色の移動平均線を挟んで一番近い上下の線がそれぞれ+1σと-1σ、2番目に近い上下の線が+2σと-2σ、3番目に近い上下の線が+3σと-3σの順に並んでいます。統計学的に±1σの範囲には68.26%の数値が収まり、±2σの範囲には95.44%の数値が収まり、±3σの範囲には99.74%というほぼすべての数値が収まることになっています。
だい‐たすう【大多数】
『広辞苑 第六版』(岩波書店)より引用
ほとんど全部といってよいほどの多い数。また、半数以上。「―が賛成する」
「普通」の範囲は大多数ということでした。「普通」を半数以上とすると±1σまでの範囲に、ほとんど全部とすると±3σまでということになるかもしれませんが、大多数の定義からいってまだ曖昧なところがあります。
しかし、どんな場合であったとしても、ボリンジャーバンドのチャートから視覚的に明確になることがあると思いませんか? 値動きが激しくなるとボリンジャーバンドの幅は大きく広がり、値動きがほとんどない相場ではボリンジャーバンドの幅は狭くなります。急に値動きが激しくなり±3σを突き破るような動きをみせる局面では、それまで「普通」の範囲に含まれていなかった人たちが含まれるようになることが起こりうるのです。似たような人たちの集団における「普通」の範囲は狭くて動きに乏しいものですが、それまでにいなかった斬新なことをする人が突然現れると「普通」の範囲は広がることになります。また、時の経過で範囲外だった場所が「普通」の範囲に含まれることもあります。そういえば昔は珍しかったことでも今では「普通」になっていることは少なくはないなという実感のある人もいるのではないでしょうか。「普通」とは時間軸で変化し、「普通」の範囲に含まれる幅も狭くなったり広くなったりして一定ではないのです。
みんなの猿真似をすることが「普通」なのではない
いくつかのテクニカル分析の手法から「普通」とはなにかを模索してきましたが、見落としてはいけない大切なことがあります。それは、市場の動きは投資家それぞれが状況を考え、判断を下し、ルールに則った行動を起こした結果であり、それがチャートとなり移動平均線やボリンジャーバンドが描かれているのだということです。決して、その逆ではありません。
「普通」ってなに? という疑問を持つとき人は周囲の人からのなんらかの圧力に疑問を感じているときなのではないでしょうか。そんな場面では、「普通」と共に用いられるのも珍しくはない「常識」についてもその正確な意味を確認しておきましょう。
じょう‐しき【常識】
『広辞苑 第六版』(岩波書店)より引用
(common sense)普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに、理解力・判断力・思慮分別などを含む。森鴎外、自彊不息「―ハ普通ノ事理ヲ解シ適宜ノ処置ヲナス能力ナリ」。「―のない人」
「常識」には「理解力・判断力・思慮分別などを含む」とありますから、「一般」である大多数の人たちがそれらを持っている社会であることが前提にあってこそ常識というものは成り立つようです。
しかし、世界は広いのです。大多数の人たちとはどの単位の人たちの話なのでしょうか? 市区町村ごとでしょうか? それとも都道府県単位でしょうか? 国単位の世界レベルとなると、日本の人口は世界の大多数を占めていないことは明らかですから、日本では大多数が常識と認識するようなことであっても世界では非常識になり得ることになります。
そう考えてみると実際には近所の人、職場の同僚、学校の同級生、親兄弟、親戚……家族や自分が所属する学校や会社、サークルなどの身近なコミュニティーであったり、メディアで報じられていることであったり、それぞれが自分の見える範囲の人たちを基準にした「普通」や「常識」となるものを信じていることが多いのではないでしょうか。この世には国境を挟まなくてもさまざまな世界が存在しますから、見える範囲が広い人と狭い人では信じている「普通」や「常識」が大分かけ離れていたとしても全く不思議ではありません。あるいは、見える範囲が狭ければこの世にはさまざまな世界が存在することすら見えていないのかもしれません。
ここまで読んだ方は「普通」というものの正体が見えてきたのではないでしょうか。だれか他の人の信じる「普通」や「常識」を押しつけられる必要もないし、押しつけることができる人もいないはずです。だれかと自分を比較して優越感に浸ったり、逆に劣等感に苛まれたり、だれかを侮辱したり差別したり……そんなことに限りあるあなたの人生の大切な時間を割く必要もありません。「普通」に固執して生きることにはほとんど意味がないのです。なによりも一番大切なのは、それぞれの個人が「理解力・判断力・思慮分別」を含む知識を持って行動することなのではないでしょうか。